私のもっとも敬愛する作家、山田正紀の小説を全部読んでいこう、というシリーズの記事である。初読、再読を問わず、山田正紀の小説を読んで、好き勝手に感想を書いていく、そういう趣旨で記事をあげていく所存だ。
第1回目の作品は『神狩り』である。
作品データ
『神狩り』は山田正紀の商業誌デビュー作である(これ以前に同人誌『宇宙塵』にいくつか作品が掲載されている)。1974年5月、『SFマガジン』の7月号に一挙掲載された。掲載されたのは現在の第1部と第2部で、第3部およびプロローグは単行本化の際に加筆されたものだ。雑誌掲載当時、山田正紀は23歳。若きサラブレッドの、衝撃のデビューだった。
<刊行データ>
- 1974年、『SFマガジン』に掲載。
- 1975年、早川書房より単行本発売。
- 1976年、ハヤカワ文庫版発売。
- 1977年、角川文庫版発売。
- 1998年、ハルキ文庫版発売。
- 2010年、ハヤカワ文庫新装版発売。
作品紹介
いまさら私が言うまでもないが、『神狩り』は日本SFの名作である。というわけで、この記事を読んでいて、まだ『神狩り』を読んでいないという人は早く買って読んでください。
『神狩り』は、天才情報工学者である島津圭助が、とある遺跡で発見された「古代文字」の調査に加わったことをきっかけに、「神」との戦いに身を投じていくことになるという哲学的なSF小説である。
この作品を最初に読んだとき、私はSF小説というものをほとんど読んだことがなかった。SFに該当する小説をほんの少しは読んでいたと思うが、それらをSFと意識してはいなかった。私の読書生活はミステリを中心に回っており、SFについてはその存在をうっすらと知っている程度だった。
ミステリしか読まないのはよくないと漠然と思っていた私は、ある日SFというものを読んでみようと思い立ち、ほとんど偶然のように『神狩り』に出くわした。じつは山田正紀の作品はこれが初めてというわけではなく、『宝石泥棒』をほんの少しだけ読んで挫折した経験があった。が、ちゃんと全部読んだのは『神狩り』が最初である。SFと意識して読んだ最初の小説でもある。
正直に言うと、初読のときは本作のおもしろさがわからなかった。SFとしてそれほど難解な小説ではないはずだが、私の読解力があまりに乏しすぎた。しばらく経って再読しようと思った理由は正確には忘れてしまったが、当時よく読んでいた新本格ミステリの作家たちが、山田正紀を絶賛しているのをしばしば目にしていたことがきっかけだったような気がする。
それでふたたび『神狩り』に挑んだわけだが、SF初心者であることは変わっていなかったものの、初読時より多少読解力があがっていたおかげか、今度はめちゃくちゃおもしろいと感じた。SFならではの「センス・オブ・ワンダー」というものにも初めて遭遇し、「もしかしてSFってすごいのかもしれん」と思うきっかけとなった。こうして私はSFに目覚め、山田正紀の小説を次々と読んでいくことになったのだった。
作品紹介というより単なる思い出話なのだが、なにが言いたいかというと、『神狩り』はSF初心者でも楽しめる小説だということだ。作者自身、本作をSFとは思っていないという旨の発言しているし、実際SFというより青春小説としての側面がかなり強い。というわけで、SFが苦手だと思っている人も安心して手にとっていただきたい。
感想
※以下、それほど大きなネタバレはありませんが、まっさらな状態で本作を読みたいという方は念のため注意してください。
「それは、薊でなければならなかった」という印象的な一文から始まる本作。山田正紀のファンとなってから改めて読むと、この冒頭だけで「かっこいい!」とテンションがあがってしまう。プロローグには主人公の島津圭助ではなく、哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが視点人物として出てくる。実在の人物を堂々と作中に登場させるのは、山田正紀の得意技のひとつ。デビュー作からやってるなあ、という感じだ。
「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない」というヴィトゲンシュタインの言葉をプロローグで引用し、まさにその「語りえぬこと」についてこれから語りますよ、と宣言してみせる態度もまたとてもかっこいい。山田正紀という人は自己評価が非常に低く、謙虚にもほどがある作家なのだが、作品のなかではしばしば驚くほどの蛮勇っぷりを見せてくれるところが最高だ。
で、『神狩り』で語られる「語りえぬこと」とはなにかというと、ずばり「神」である。主人公の島津は神戸市の遺跡で発見された「古代文字」の解析に挑み、それが「神の言語」であるという結論に至る。「神の言語」とはどんなものか。それは「論理記号をふたつしか持たず、関係代名詞が13重に入り組んでいる」というもの。正直なんのこっちゃ、という感じなのだが、神の存在に具体性を持たせるためのアイデアをこんなふうに思いついてしまうところが、山田正紀のえげつない才能なのだ(たぶん)。
こうして神の存在に触れた島津は、やがて神との戦いに挑もうとする面々と出会い、自身のその戦いに身を投じていくことになる。このあたりの島津の心理描写やストーリー展開は、青春小説として読めるもので、むしろ本作の主眼はここにあるのかもしれない。神という絶対的な強者に挑んでいく若者の青春、と書くとなんだか血湧き肉躍るものを感じるが、そんな勇ましい雰囲気にはならず(まったくないわけではないが)、どこまでもほろ苦い青春ものになっているところが山田正紀らしい。こうしたある種の「暗さ」に魅力を感じ、私は山田正紀のファンになっていったのだ。
『神狩り』以降も、山田正紀は「神」をテーマにした作品を多く発表し、2005年には本作の直接の続編『神狩り2 リッパー』を刊行する。「神」にとりつかれた作家・山田正紀の原点として、そして日本SFの名作として、ぜひ多くの人に読んでもらいたい小説である。