大学生も社会人も本を読まない国。そもそも読書のメリットとは?

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私の趣味は読書なのだが、日本人のほとんどは本を読む習慣を持たないようだ。べつにそれを悪いことだとはそんなに思ってはいないが、みんなもう少し本を読んでもいいのでは?と考えることはたまにある。

今回は日本人の読書に関する調査を見ながら、私が本を読む理由や、読書をすることによるメリットについて考えてみた。

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大学生はどれくらい本を読んでいるのか

まずは、大学生の読書に関する調査から見ることにする。本を読まない代表格として取りあげられがちな大学生だが、いまの大学生はどれくらい本を読んでいるのだろうか。

2020年2月28日に発表された全国大学生活協同組合連合会による第55回学生生活実態調査を見てみよう。これによると、1日の読書時間が「0分」だと答えた学生は48.1%約半数の大学生は読書をいっさいしていないことがわかる。 読書の定義として漫画や雑誌などを含めている人もいるため、小説や教養本を読んでいる人の割合はもっと下がることになるだろう。

社会人はどれくらい本を読んでいるのか

では、次に社会人はどうだろうか。

2019年10月に発表された文化庁による平成30年度「国語に関する世論調査」を見てみよう。調査対象は全国の16歳以上の男女ということで学生も含まれているが、こちらでは「1ヶ月に何冊くらい本を読むか」という問いに対し、「読まない」と答えた人が47.3%となっている。この調査でも約半数の人が読書をいっさいしていない。さらに、同じ問いに「1、2冊」と答えた人は37.6%。つまり、じつに84.9%の人が「1ヶ月に0~2冊」しか本を読まないというわけだ。

もはやいったいだれが本を読んでいるのかという状況である。

小・中・高校生はどれくらい本を読んでいるのか

10代の子どもたちに最後の希望を託すしかない。

全国学校図書館協議会が毎日新聞社と共同でおこなった第65回学校読書調査(2019年) を見てみよう。対象となっているのは、小学生は4~6年生、中・高生は1~3年生である。

これによると、2019年5月1ヶ月間の平均読書冊数は、小学生11.3冊中学生4.7冊高校生は1.4冊となっている。また、不読者(5月1ヶ月間に読んだ本が0冊)の割合は、小学生6.8%中学生は12.5%高校生55.3%となっている。

小学生がいちばん本を読み、中学生もそこそこ、高校生で一気に読書をしなくなる、という傾向にあるようだ。高校生以上になると、半分の人間は本を読まない。8割の人間は1ヶ月に2冊以下というのが日本人の現状といえる。もう大人は小学生に「本を読みなさい」などと言ってはいけない。むしろ言われる立場にある。

そもそも本を読む必要があるのか

いくつかの調査から、高校生以上の日本人がぜんぜん読書をしていない実態がわかったわけだが、これが嘆くべきことなのかどうかはわからない。そもそも本を読む必要なんて本当にあるのか、という疑問が成り立つからだ。

教育的な観点のことはとりあえず置いておくとして、読みたくない人、読む必要を感じない人に読書を強要することはできないだろう。 読書することによるメリット、しないことによるデメリットはきっとあるだろうが、そのメリットを拒否したり、デメリットを許容したりする自由はそれぞれの個人にある。

なので、私としては「もっとみんな本を読めばいいのに」と思いはするものの、同時に「べつにみんなそれぞれ勝手にすればいい」とも思っている。

私が本を読む理由

この記事を書くにあたり、「読書 メリット」とか「本 読むべき理由」といったワードでネット検索し、上位に表示された記事を読んでみたものの、そのほとんどはピンとこないものだった。だいたい「こういう能力が伸びる!」というようなことが書いてあるのだが、なんだか意識高いなあ、という感じだ。

で、だいたい「読むべき本」として自己啓発本やビジネス書がちょろっと紹介されている。『嫌われる勇気』とか『金持ち父さん貧乏父さん』とかホリエモンの本とか。この手の人たちはどうやら読書に実用的なメリットを求めているようだ。

私は自己啓発本やビジネス書はほとんど読まないし、なにかの実益を求めて読書をしているわけではない。私が本を読む理由はいたってシンプルで、「楽しいから」である。

たとえば、音楽や映画などの趣味について、実用的なメリットがあると主張している人はいるだろうか。まあ、なかにはいるかもしれない。しかし、映画館に来ている人たちを見て、「この人たちはなんのメリットがあって映画を観にきているんだろう」と疑問を抱くことはまずないだろう。映画館に来る人は、映画を楽しみにきているのである。あえてメリットとして言えば、「楽しい時間を過ごせる」ということになる。

読書もそれと同じ、という単純な話だ。それなのに、なぜか読書にはなにかしらの実用性を求める人が多いように思う。実生活の役に立たないなら読書はしたくない、という人はそもそも読書に向いていないので、読書しなくてもいいだろう。

私の好きな作家である森博嗣の小説『冷たい密室と博士たち』のなかにこんな場面がある。大学の教員である主人公の犀川が、「社会に出て数学が何の役に立つのか、と学生に問われたらどう答えるか?」という質問にこう応じるのだ。

「何故、役に立たなくちゃあいけないのかって、きき返す」犀川はすぐに答えた。「だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね」

こういう言葉に出会えることが、読書によるメリットである。

読書をするメリット

さて、読書のメリットなんて「楽しい」だけでじゅうぶんだとよくわかったわけだが、せっかくなのでもう少し深く掘り下げて考えてみよう。私の読書のメインは小説なので、小説を読むことによるメリットを考えてみたい。

ここでまた小説家の言葉を引用する。北村薫がそのデビュー作『空飛ぶ馬』の単行本版に著者として寄せた言葉だ。

小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへ抗議からだと思います。

こういう言葉に出会えることが、読書によるメリットである。

人はだれしも自分の人生を生きることしかできない。しかしフィクションを通して、自分とは違うだれかの人生に触れることができる。それがなぜ人にとって大切なのかといえば、それはたぶん、人は自分の人生を生きるだけでは寂しい生き物だからだ。

他人のことなど考えず、ただ自分の人生をひたすらに生きる。それで満足できるなら、だれかと友情を育んだり、だれかに恋に落ちたり、だれかのことを応援したり、だれかの役に立ちたいと思ったり、そんなことをする必要はまったくない。でも、多くの人はそうではない。自分以外のだれかの人生に触れ、思いを巡らせ、その一部に関わりたいと願っている。

小説というメディアには、自分以外のだれかの人生について、深く細かく知ることができる機能がある。それによって、自分の人生を拡張できる。拡張することで、世界のこと、社会のこと、時代のこと、他人のこと、そして自分のことが見えてくる。それは実生活でだれかと触れあうことと同じ、とまでは言わないが、それに近いものがある。

したがって、小説を読むメリットをしいて簡潔に言うならば、「孤独を癒やしてくれる」ということになるだろうか。フィクションの登場人物はもちろん実在しないが、彼らを生み出した作者はたしかにこの世に存在するのだから。

まとめ

というわけで、日本人が読書をしないという話から、なんだかとりとめのない結論にたどり着いた。結局のところ言いたいのは、「楽しいしメリットもあるから、みんなもっと小説読もうぜ」ということである。もちろん強要はしないけれど。