日々の息抜きに読みたい!おすすめの笑えるエッセイ本

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読書といえば私の場合ほとんど小説なのだが、ときどきはエッセイも読んでいる。軽い気持ちで手にとれて、ちょっと笑えて癒やされる、そんな本が読みたいときにエッセイを選ぶことが多いようである。ちょっとした隙間の時間や寝る前などにパラパラとめくるのがちょうどいい。

というわけで、今回は私の好きな笑えるエッセイ本を紹介していこうと思う。

※一部サムネイルが当該作品ではなく関連作品になっていますが、リンク自体は正常です。

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『工作少年の日々』森博嗣

小説家・森博嗣による工作をテーマにしたエッセイ集。

子どものころから工作を楽しんできた森博嗣の趣味が全開になった本で、さまざまな物事への冷徹な視線が持ち味のひとつである著者が、ちょっとテンション高めの文章ではしゃいでいる感じが愉快な一冊である。自由自在に綴られる文章のそこかしこに、森博嗣独特のジョークとユーモアが炸裂している。

私は工作の類いはしないが、このエッセイを読んでいるとなんとも楽しそうな世界で、何十年とその世界の住人として生きている著者がうらやましくなる。壊れた家電を自力で直し、自分だけのガレージを作り、模型飛行機を飛ばし、鉄道模型を走らせる。森博嗣は本当に人生の楽しみ方を知っている人なのだと思う。

私がいちばん好きなのは「模型屋慕情」の回である。工作のためのパーツを求める森少年の姿がとても微笑ましい。短編集『今夜はパラシュート博物館へ』に収録されている『素敵な模型屋さん』は、こうした経験から生まれた作品なのだなとわかる。

『世界音痴』穂村弘

歌人・穂村弘の初のエッセイ集。

世界とうまく折りあいがつけられない「世界音痴」を自称する著者。臆病さ、神経質さ、空気の読めなさ、人生の経験値の少なさなど数々の欠点を抱え、克服できないどうしようもなさの前にあきらめの境地に達しているようなところがあるが、そんな自分を見つめ、文章にしてさらけ出すという点においては、とても勇気があるともいえる。

回転寿司屋で好きなネタを注文できない、飲み会で楽しそうに振る舞うことができない、病室で点滴を受けている最中心配なことがあるのにナースコールができない。こう思われたらどうしよう、ああ思われたらどうしようと、とにかく細かいことを気にしていろんなことができないまま呆然とするしかない著者に、しかし案外多くの人が共感するのではないだろうか。少なくとも、私はそのなかのひとりである。

私がいちばん笑った回は「ようこそ、デニーズへ」である。「私たちのオウムは不死身」というフレーズについ吹きだしてしまった。笑えるだけではなく、むしろ苦さや切なさの成分も強いエッセイ集だが、世界や社会への違和感を抱えている人間の心に深く染み入る一冊だ。

『つるつるの壺』町田康

パンクロッカーであり、小説家である町田康のエッセイ集。

小説と同じように、きわめて音楽的な文体で綴られる町田康のエッセイ。初めて読んだときは町田康のことをあまりよく知らず、パンクロッカーで芥川賞作家という肩書きや、ほとんど改行をしない怒濤の文体になんとなくとっつきにくさを感じたまま読了した。が、あらためて読み返してみると、偏屈さのなかの愛嬌を強く感じられ、素直にしみじみと笑いながら読むことができた。

売れないパンク歌手であることへの自虐が笑える「ロックの老いの坂」「このようにパンクするわけは……」や、猫への愛情あふれる「あらゆる批判を甘受する」「猫について喋って自死」など好きな文章は多いが、わずか2ページの「善悪の彼岸」がいちばん印象に残っているかもしれない。

(中略)善いことも悪いことも思いついたことはみんな本に書くようになってしまったのである。

という一節は、読書好きにはなんだかとても勇気づけられるものがあった。

『もものかんづめ』さくらももこ

漫画『ちびまる子ちゃん』で知られるさくらももこによるエッセイ集。

『ちびまる子ちゃん』のアニメ化の翌年に出版され、大ベストセラーとなった作品である。のっけから女子高生時代に水虫になってしまった話で抱腹絶倒し、あとはもうさくらももこの小気味よい笑いの世界に浸っていれば、あっというまに読み終わってしまう。

家族や友人、はたまた単なる街ですれ違っただけの人まで、なぜこうもユーモラスな人間が著者の周りに集まってくるのか、という気持ちになるが、それはそもそも観察者であるさくらももこ自身のおかげなのだろう。見る者が見れば、やっぱり人間という生き物はみんなおもしろおかしいものなのだ、ということに読んでいて気づかされる。

私が好きな話は「奇跡の水虫治療」と「乙女のバカ心」である。各話についての「その後の話」があるのもうれしいサービスだ。

『われ笑う、ゆえにわれあり』土屋賢二

哲学者の土屋賢二によるエッセイ集。

刊行当時、お茶の水大学の教授(現在は定年退職して名誉教授)だった土屋賢二の最初のエッセイ集であり、この本によって著者はたちまちユーモアエッセイの書き手としてトップランナーになった。著者のユーモアがどのような性質のものか、「はじめに」の部分から少しだけ引用しよう。

本書の面白さは例外を除けばすべての人に分かっていただけると思う(どんなものにも例外があるのが残念である)。もちろん、いくら面白い冗談でも、言葉を知らない外国人、犬、猫、椅子には通じない。いずれにしても、読んで面白いと感じる人は、読む力をもっていることをわたしは保証する。

基本的にツッコミは不在のため、その役割は読者自身が担うことになる。引用部分は「はじめに」のほんの一節であり、軽いジャブのようなもの。本編では、哲学者としての思考力を注ぎこんだ屁理屈の力を惜しみなく発揮し、七面倒くさい論理と文章で読者を笑いの渦に巻きこんでいく。また、恐妻家としての側面や、教授なのに学生から舐められている姿なども愛嬌があっておもしろい。

私が好きな回は「人間を定義するのは不可能である」「汝みずからを笑え」である。ゲラゲラと笑いながら、ほんの少しだけ哲学の深淵に触れることができる(気がする)。

まとめ

以上、5つのエッセイ本を紹介した。

これらが日々の疲れを癒やす薬のような本になれば幸いである。