海外の小説を読むのが苦手、という人はわりと多いように思う。私も読書を始めたばかりのころに比べればマシになったが、日本の小説と比較すれば翻訳ものの小説はどうにも読みにくいと感じてしまう。
苦手ならばべつに無理に海外小説を読む必要もないわけだが、それでもやはり古典的な名作くらいは押さえておきたいとか、ものすごくおもしろいと評判の本なら読んでみたいとか、そういう機会は多くある。したがって、苦手意識を克服できるならそれにこしたことはない。
というわけで、今回は海外小説を読みづらいと感じる原因と、その対策について考えてみたいと思う。
原因① 登場人物の名前が覚えにくい
なじみのある日本人の姓名と比較して、外国人の名前はやはり覚えにくい。主要登場人物の名前が「ジョン」「ジョージ」「ジェームズ」「ジェーン」などやたらと「ジ」から始まるケースなどもある。日本の小説なら「山田」「山本」「山口」「山川」といった名前のメインキャラクターが並んでいるようなもので、ギャグでもないかぎり、そんなまぎらわしいことをする日本人作家はいないだろう。
登場人物のニックネームもまたクセモノである。「ウィリアム」が「ビル」、「エリザベス」が「ベス」など、さっき正式な名前で表記されていたキャラクターがいきなりべつの名前で呼ばれて困惑することが多々ある。「渡辺さん」が「ナベさん」と呼ばれているならすぐに理解できるが、外国人の場合はそうもいかない。
対策:手もとの紙にメモをとる
対策は、ずばり紙にメモをとることである。なんだ、つまらない、と私も思うが、意外と効果はバカにできない。
たまに本の表紙の折り返しの部分や、本文が始まる前のページあたりに登場人物の一覧が記載されている場合があるが、あれをいちいち確認のために見返すのは面倒なので、手もとに紙を用意するほうがいい。
たんに名前を書くだけではなく、簡単な肩書き(「警察官」とか「主人公の妹」とか)や描写されている見た目の特徴などもメモしておくと、キャラクターのことがぐっと把握しやすくなる。やっかいなニックネームのここに記しておくとわかりやすい。
手書きでメモすることで、より記憶に残りやすいというメリットもある。面倒がらずにやると、逆に読むスピードがあがることも珍しくない手法だと思う。
原因② 地名になじみがない
人名に続いてネックになるのが地名である。日本の小説で「大阪」とか「鹿児島」とかいった地名を目にした場合、だいたいの場所やざっくりしたメージが浮かんでくるものだが、海外小説を読んでいて「アーカンソー州」とか「シャンピニー=シュル=マルヌ」とか言われても、いったいどんな土地なのかよくわからない。ややこしい地名だとカタカナをすらすらと読むことすらままならない場合もある。これがリーダビリティを阻害するのである。
対策:とりあえずGoogleで検索!支障がない場合は読み飛ばす
対策は、ずばりGoogleで地名を検索することだ。Wikipediaをさらっと読むだけでも土地のイメージがつかみやすくなるはずである。なんだ、つまらない、と私も思うが、なんでもすぐに調べる癖をつけるのは悪いことではないだろう。
少なくとも物語のメインとなるような場所について、小説を読んでいるだけではわかりにくいと感じた場合は、スマホでさくっと検索してしまうのがいい。「見知らぬ土地」が「ほんの少しは知っている土地」になるだけで、作品から感じられるリアリティが変わってくると思う。
もちろん、あらゆる地名をいちいち検索していたのでは、本文を読み進めるのに支障をきたすので、ちょっとしたディテールとして出てきただけの場合は、本筋の理解には問題ないとして読み飛ばしてもいいだろう。ただし、そのようなケースでもしっかり調べて読んでいくと、より深く作品を理解できることは間違いない。ひとつひとつ調べるかどうかは、個人の好みや性格による部分だろう。
原因③ 言い回しや比喩がわかりづらい
翻訳ものの小説には「翻訳調」としか言いようのない、独特の文体の雰囲気がある。外国語を日本語に訳すときに、どうしても直訳的にならざるをえない部分、日本人が使う日本語のようには訳しにくい部分というのがあるのだろう。そもそもほとんどの外国語は文章の構造からして日本語とは違うのだから、ある程度はしかたない。
英語のテストで自分で和訳をするときに、日本語としては不自然だと思いながら回答していた、という経験は多くの方がしていることだろう。プロの翻訳家の方はもちろんもっと上手に日本語に置き換えているわけだが、それでも一般読者にとっては普通の日本語の文章より読みにくくなるのは避けられない。
かといって読みやすさのためだけに意訳しすぎて、原文の味わいを損なうような表現になるのも問題である。このあたりのバランスは翻訳家の方にとっても難しいところだろう。
対策:急いで読もうとしない。あるいは逆に斜め読みで済ませる
対策は、ずばり急いで読もうとしないことである。なんだ、つまらない、と私も思うが、文章の表現がややこしいと感じたら、ちょっと面倒な気持ちをこらえて読むスピードを落としてみるといい。よほどひどい翻訳でないかぎり、ゆっくり咀嚼すれば理解できる文章であることがほとんどのはずだ。すらすら読めないことより、理解できないことのほうがストレスなので「急がば回れ」の精神でいくのがよいと思われる。
逆に、よくわからないところは斜め読みで済ませて、とにかく先へ進む、という方法もときには有効かもしれない。私はときどきそうやって読み進めて、あとから斜め読みしたところをもう一度読み返すことがある。斜め読みとはいえ一度読んでいるのだし、先の展開がある程度わかっているため、最初に読んだときよりも理解しやすくなっていることが期待できる。
対策:新しい翻訳がある場合はそちらを選ぶ
もうひとつの対策は、比較的最近翻訳されたものを選ぶことだ。これは、つまらなくない。
むかしの海外小説の場合、日本語に訳されたのも何十年も前で、そもそも日本語としての言い回しが古い、というケースがある。もちろん翻訳の第一人者による文章を読む価値は高いが、読みづらさゆえに読むのを避けることになっては元も子もない。
古典的な名作の場合、現代の翻訳家によって新しく翻訳されたものが出版されていることも珍しくない。現在の日本人の感覚に合う文章となっている可能性が高いので、新訳がある場合はそちらを選ぶほうが間違いなく読みやすいはずである。
原因④ そもそも内容が難解
すべての海外小説が難解なわけはないし、日本の小説にも難解な作品はあるわけだが、それにしても海外の作品をあさっているとときどき信じられないほど難解なものに出会う。読書に慣れていないうちに出くわすと、なおさらそう感じることだろう。
私はまだそれほど読書経験がないときに、ドイツ人作家であるA・シュニッツラーの『夢綺譚』という小説を読んで、頭のなかに大量のクエスチョンマークを浮かべるはめになった。150ページほどの短い本なので読みやすいだろうと思ったのだが、大きな勘違いだった。あとになって読んだら、それなりには楽しめはしたが。
対策:まずは児童文学作品から読む
対策は、ずばり児童文学作品を読むことだ。これも、つまらなくはない。
そもそも海外小説に慣れていないのに、無理に難解なものを読む必要などまったくないわけである。したがって、最初はまず児童文学作品から読むのが好ましい。当然ながら翻訳の際、日本人の子どもにも読みやすいように、と考えられているので、文章が読みにくいことはあまりないと思われる。
大人なのに子ども向けの作品なんて、と引け目を感じる必要ももちろんない。本来はおもしろい小説に大人向けも子ども向けもないので、おもしろい児童文学作品をどんどん読んでいくといいだろう。
まとめ
以上、海外小説の読みづらさの原因と対策を私なりに考えて書いてみた。
なにはともあれ、「慣れ」というものほど苦手意識の克服の役に立つものはない。「慣れ」が生じるまでのあいだ、上記のようなことを気にしてみてはいかがでしょうか、というのが私の提案である。
また、以下の記事では海外小説初心者におすすめの作品を紹介しているので、時間のある方は読んでみていただきたい。