「泣ける小説」も悪くないが、「笑える小説」のほうが私は好きである。漫才やコントを観るのも好きで、おもしろい芸人のことを心から尊敬しているが、文章の力だけで読者を笑わせようと腕を振るう小説家のことはもっと尊敬している。
世間的にはどうしても「泣ける小説」のほうが売れやすいものだが、売れないからという理由で笑いを追求した小説が出版されなくなってしまっては困る。そこで応援の意味もこめて、私の好きな「笑える小説」を紹介したいと思う。本を読んでゲラゲラ笑いたい方の財布の紐を緩める後押しになれば幸いである。
※一部サムネイルが当該作品ではなく関連作品になっていますが、リンク自体は正常です。
『イラハイ』佐藤哲也
佐藤哲也のデビュー作であり、数々の傑作を世に送りだした日本ファンタジーノベル大賞の第5回大賞受賞作。
「イラハイ」という架空の王国の興亡を描いた異色のファンタジー小説である。「笑える小説」だからといって、軽く読み飛ばせるものばかりと思ってはいけない。冒頭からものすごい密度の文章でエピソードを連打し、国王と国民の愚かしさに満ちた歴史が紡がれていく。とくに「女房転がし」という競技の描写なんかは最高だ。
一見とっつきにくい作品だとは思うが、伊坂幸太郎や森見登美彦が絶賛した作品だといえば、手にとってみようという人が増えるかもしれない。現代日本を代表する人気作家たちも認める傑作である。
『イン・ザ・プール』奥田英朗
直木賞作家・奥田英朗による「精神科医・伊良部シリーズ」の第1作。
色白でデブでマザコンで注射フェチという精神科医・伊良部一郎のもとに、毎回変わった症状に悩まされる患者が訪れる連作短編集。患者の悩みは毎度笑えるけれどそれなりに深刻なもので、どう見ても真面目に診察する気のない伊良部に治せるはずもなさそうなのだが、毎回なんだかんだで解決してしまう。
伊良部や助手のマユミのエキセントリックなキャラクターは笑えるが、じつのところ現代社会で疲弊する人々を描いた小説として優秀で、だからこそシリーズの第2作『空中ブランコ』では直木賞を受賞するまでに至った。おかしみあふれる人間ドラマを味わいたい方におすすめである。
『NHKにようこそ!」滝本竜彦
漫画化、アニメ化もされた滝本竜彦の代表作。
本作におけるNHKとは「日本放送協会」のことではなく「日本ひきこもり協会」の略。自分がひきこもりなのはNHKの陰謀だ!と閃いた主人公が、だからといってNHKとの闘争が繰り広げられるわけでもなく、だけど曰くありげな美少女と出会い、高校時代の後輩と再会し、現状を脱しようと七転八倒する物語である。
小説としてうまい!というタイプの作品ではないが、作者のひきこもりの経験がダダ漏れになっている文章には鬼気迫るものがあり、ぐいぐいと読ませる。主人公の境遇は切実だからこそ笑いによるコーティングが必要で、笑いで取り繕うからこそより切実さが際立つ。ある意味、笑えるけれど笑えない小説であるともいえる。
そして、じつのところ、もっとも切実なのは「あとがき」および「文庫版あとがき」だったりする。
『鴨川ホルモー』万城目学
人気作家・万城目学のデビュー作である、一風変わった青春小説。
京都を舞台に、謎の競技「ホルモー」に挑むことになってしまった大学生たちの青春を描いた作品。「ホルモー」にまつわるバカバカしくも愉快な設定はそれなりに練られているものの、個人的に競技内容そのものには正直それほど惹かれず、青春もの、あるいはラブコメものとして楽しんだ。とくに中盤以降、主人公の感情がドライブしはじめてからページのめくるスピードが上がっておもしろく読めた。
京都の大学生を描いたコメディ、ということで、森見登美彦の作品群と比較されることも多い小説だろう。本人たちも仲がいいようなので、森見登美彦は読んだことがあるが、万城目学は読んだことがないという人は、まず本作から手にとってみてはいかがだろうか。
『銀河帝国の弘法も筆の誤り』田中啓文
SF・ミステリ・ホラーといったジャンルで活躍する田中啓文によるSF短編集。
『銀河帝国の弘法も筆の誤り』というタイトルからわかるとおり(元ネタはアイザック・アシモフの『銀河帝国の興亡』)、作者の最大の武器は駄洒落である。駄洒落のためにアイデアを練り、ガジェットを注ぎこみ、ストーリーを構築し、そして最後にはすべてを放り投げる。その潔さには脱帽せざえるをえないし、読み終わったあとには脱力せざるをえない。
22世紀後半に初めて人類が傍受した宇宙の知的生命体からのメッセージが禅問答であった話だの、ピザ20枚を腹に詰めこんだ宇宙飛行士が船外活動中に宇宙服をゲロまみれにする話だの、最初の設定からしてまったくふざけているとしか思えないが、そこからの展開がちゃんと(?)もっとふざけている点がすばらしい。
表題作は星雲賞を受賞しているし、作者はべつの作品で日本推理作家協会賞を受賞しているし、権威からのお墨つきもある作家である。安心して読み、その馬鹿馬鹿しさに脱力しよう。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス・アダムス
イギリスの脚本家でSF作家、ダグラス・アダムスによる人気SFシリーズの第1作。
物語の冒頭の舞台はロンドン。バイパス建設のために自宅がブルドーザーに破壊されることに反対するアーサーという男が登場するのだが、なんやかんやとあって突然宇宙船が地球上空に出現し、銀河バイパス建設のためにアーサーの自宅どころか、なんと地球がまるごと消滅してしまう。
この間、ページにしてわずか50枚足らず。我らが地球のあまりにあっけない最期である。このあと、運よく生き残ったアーサーは、地球にいた友人の宇宙人フォードとともに、宇宙をヒッチハイクで旅することになる。
あまりにもバカバカしい設定とストーリーに、いかにもイギリスらしいシニカルな笑いを乗せたSFコメディの傑作である。海外産のSFとしての読みやすさも群を抜いており、海外小説やSF小説になじみのない方でも楽しめるはずだ。
『グミ・チョコレート・パイン グミ編』大槻ケンヂ
ロックバンド・筋肉少女帯のボーカルを務める大槻ケンヂによる青春小説。
小説の冒頭に、高校時代の作者をモデルとした主人公がこれまでにおこなってきた、とある行為の回数が示される。その数、じつに5478回。これがなんの回数なのかは言わずもがなだが、このように作者がみずからの恥部を存分にさらけ出した自伝的青春小説が『グミ・チョコレート・パイン』である。
勉強もできず、恋人もおらず、サブカルチャーに耽溺し、「自分には他人とは違う能力がある」という思いこみだけはいっちょ前。そんな男子高校生の自意識を笑いとともにえぐり出す。そしてそこには、かつての自分と同じような人間たちへ込められた作者からの愛とエールがある。そんな小説である。
『~グミ編』『~チョコレート編』『〜パイン編』の3部作からなるシリーズ。気になる方は、まず『~グミ編』からどうぞ。
『クリスマスのフロスト』R・D・ウィングフィールド
イギリス人作家、R・D・ウィングフィールドによるミステリ小説。
翻訳が刊行されるたびに各種のミステリランキングを席巻してきた人気作「フロストシリーズ」の第1作である。同時発生する複数の事件を刑事たちが追いかけていく、モジュラー型警察小説としてよく知られた作品だ。
事件を捜査し解決する、その過程を描いたミステリとしておもしろいのはもちろんだが、「笑える小説」として特筆すべきはやはり、きわめて個性的なキャラクターたちのことだろう。
下品で口の悪い主人公フロスト警部をはじめ、フロストとコンビを組まされ苦労することになる新米エリート刑事クライブや、上昇志向にとりつかれたような俗物の権化マレット署長など、警察署の面々は一筋縄ではいかない曲者揃い。そんな連中に罵詈雑言を浴びせながら、パワフルに事件捜査に奔走するフロストの姿は痛快そのものである。
第1作の『クリスマスのフロスト』が気に入ったなら、続編『フロスト日和』から完結作『フロスト始末』までのシリーズ作品をぜひ楽しんでいただきたい。
『激突カンフーファイター』清水良英
第12回ファンタジア大賞準入選作。清水良英のデビュー作であり、発表されている唯一の作品でもある。
ライトノベル史上に燦然と輝く最高のギャグ小説である。ライトノベルというメディアは漫画からの影響をわかりやすく受けているが、「ギャグ漫画のようなギャグ小説」としてもっとも成功を収めている作品はこの『激突カンフーファイター』ではないだろうか。
3歳児用ワンピースを身につけた70歳過ぎのカンフーファイターや、ぱっと見はまともな外見だが乳首の周りだけくりぬいたワイシャツを着ている刑事・滝沢を始め、登場人物は全員ボケ担当、ナレーター風の地の文でさえボケをかますというツッコミ不在のまま、ひたすらギャグが繰り広げられる。
時系列はしっちゃかめっちゃかで、ストーリーなどはあってないようなものだが、長編でここまでギャグのみに徹した姿勢は見事というほかない。 この稀代の怪作を後世に語り継ぐためにも、ぜひ多くの人に読んでいただきたいところである(しかし絶版。古本で手に入れよう)。
『工学部・水柿助教授の日常』森博嗣
人気作家・森博嗣による「水柿助教授シリーズ」の第1作。
あきらかに作者自身がモデルの工学部助教授・水柿君を主人公とし、小説でありながらエッセイのようでもある一風変わった作品だ。地の文で主人公は「水柿君」、主人公の妻は「須磨子さん」と表記され、作者が第三者として登場人物たちを観察しているかのような構造になっている。この趣向が作品に独特の味わいをもたらしている。
作者の実体験とおぼしき大学教員生活のなかのさまざまな出来事、ミステリ作家としてデビューした作者によるミステリへのメタ的な言及、そして水柿君と須磨子さんの日常生活が、森博嗣ならではのユーモアをまぶしておもしろおかしく綴られており、読んで笑えるのはもちろんだが、どこか心地よく癒やされるような部分もある。
シリーズは『~日常』のほかに『~逡巡』『~解脱』の3部作となっている。
『西城秀樹のおかげです』森奈津子
SF作家・森奈津子によるSF短編集。
なんといってもタイトルが最高である。このタイトルでいったいどんな中身の小説なのか、少しも気にならないという人がいるだろうか。気になった人はさっそく手にとり表題作を読んで、いったいなにが西城秀樹のおかげなのか、その目で確かめてみてほしい。
このほか、作者自身の人生を戯画化した『天国発ゴミ箱行き』や、地球に墜落した宇宙人(の死体)がえらい目に遭うメタSF『地球娘による地球外クッキング』など、からっと笑える作品が7編収録されている。
ちなみに、森奈津子はバイセクシュアルを公言している作家で、いわゆる「百合」も彼女の重要なテーマとなっている。百合でギャグ、という小説を書ける希少な人材である。
『69 sixty nine』村上龍
村上龍による自伝的青春小説。
1969年の長崎県佐世保市を舞台に、作者をモデルにした高校3年生の主人公・ケンの1年間の出来事がおもしろおかしく描かれている。映画や演劇、音楽によるフェスティバルの開催を目論んだり、当時の学生運動に影響されて(しかし、動機は女の子の気を引くため)学校をバリケード封鎖したり、とにかくおもしろいこと、楽しいことをやりたいというケンの青春はエネルギッシュそのもの。作者自身が「これは楽しい小説である」と語っているのはダテではない。
ケンとその仲間たちが織りなす爆笑のエピソードは枚挙にいとまがないが、とある尾籠なシーンはとくに笑いをこらえきれない。こんなことで笑ってしまう自分は男子小学生か、と思ってしまうが、おもしろいのだからしかたがない。文章は終始快調で、大きなフォントを使ったギャグも冴え渡っている。
最後のあとがきまでエネルギーのぎっしり詰まった、青春小説の傑作である。
『太陽の塔』森見登美彦
第15回日本ファンタジーノベル大賞において大賞を獲得した、人気作家・森見登美彦のデビュー作。
「処女作にはその作家のすべてがある」とはよく言われることで、それが正しいか否かはわからないが、本作には7割くらいはあてはまるかもしれない。笑いに奉仕する凝りに凝った文体、お馬鹿な大学生の生態、妖しく魅力的な街・京都、といった森見登美彦の売りをたっぷり味わえる一作である。
モテない男たちの自意識を拗らせた愚かしくも愛おしいエピソードたち。そのひとつひとつに細部までぎっしりと笑いが凝縮されている。とくに「ゴキブリキューブ」のくだりは最高で、つい吹き出してしまった。
当世の人気作家の代表作のひとつということで、「笑える小説」を探している人の多くはすでに読んでいるかもしれない。未読だという方には絶対おすすめしたい作品である。
『東海道戦争』筒井康隆
筒井康隆の処女短編集。
「笑える小説」を語るなら絶対に忘れてはならない作家が筒井康隆である。『東海道戦争』はその筒井の最初の短編集で、もう50年以上前の作品だが、いま読んでもじゅうぶんにおもしろい。
東京と大阪が戦争をする表題作をはじめ、ドタバタの時間ループもの『しゃっくり』、ロボットにイライラさせられつつもおかしい『うるさがた』、同じくロボットもので政治家の記者会見を笑いのめす『やぶれかぶれのオロ氏』など、スラップスティックとブラックユーモアに満ちた作品が目白押し。
古い文壇と時に激しく闘いながら笑いと実験に満ちた作品を発表しつづけてきた筒井康隆。彼がいなければ、この記事で紹介している「笑える小説」の数々も存在しなかったかもしれない。敬意をこめて読むべき一冊である。
『バイバイ、ブラックバード』伊坂幸太郎
人気作家・伊坂幸太郎による連作短編集。
太宰治の未完の遺作『グッド・バイ』を下敷きにした小説だが、元ネタを知らなくてもとくに支障はない。
謎の組織に目をつけられ、〈あのバス〉で連れていかれる運命にある主人公の星野。彼の最後の願いは、交際していた女性たちに最後の別れを告げること。監視役を務める繭美という女とともに、星野は5人の女性のもとを順に訪ねていく。
いつもどおりの軽妙洒脱なユーモアに加えて、身長190cm、体200kgの巨体を有し、髪はブロンドでいつもスーツを着こなす繭美という怪物じみた女性キャラクターを配したことで、伊坂作品のなかでも笑いの濃度が高い作品となっている。繭美は外見だけではなく性格もきわめて凶暴で、その傍若無人っぷりは女性に五股をかけている星野の特性が霞んでしまうほどだ。
五股男と怪物女のメインに据え、飄々と笑いをまぶしながら、後半にはちゃんとホロリとさせてくるのだから伊坂幸太郎はずるい。やはりうまいと舌を巻かざるをえない秀作である。
『夫婦茶碗』町田康
パンクロッカーにして芥川賞作家の町田康による中編集。
芥川賞といえば純文学、純文学といえば小難しい、そんなふうに考えている人も多いかもしれないが、芥川賞作家だってゲラゲラと笑える小説を書くのである。その代表格が町田康だ。とくにこの『夫婦茶碗』は町田康入門にふさわしい作品といえる。
仕事をしないから金がない、というシンプルかつ深刻な状況に陥っている主人公。妻に尻を叩かれて仕事をしようとするが、彼が思いついた仕事は茶碗洗い。横着な主婦から依頼があるだろうと考え、「ちゃわうぉっしゃー、ちゃわうぉっしゃー」と言いながら近所を闊歩する。このくだりは何度読んでも笑ってしまう。
その後も窮状を脱しようと七転八倒する主人公の様子が、饒舌でリズミカルで中毒的に楽しい文体で綴られていく。この文体にハマれば、町田康の作品を次々と手にとるはめになるだろう。読んだ直後に文章を書くと、ついつられてしまいそうになるほど引力のある文体である。
併録の『人間の屑』は、元パンクロッカーの男が主人公で、表題作以上にダメ人間の狂乱が描かれた強烈な中編である。こちらも見逃せない。
まとめ
以上、16作品を紹介した。
今回のために紹介したい作品をAmazonであれこれ検索してみると絶版になっているものもあり、「笑える小説」の苦境をあらためて実感した(「泣ける小説」も普通に絶版になるけど)。「笑える小説」と検索してこの記事にたどり着いた人たちの力で、ぜひとも笑いに満ちた小説であふれる世界を実現しましょう。